【京都府】もうひとつの京都『麒麟がくる』主人公の戦国武将 明智光秀の軌跡を辿る、ゆかりの地8選

京都府ホームページ: http://www.pref.kyoto.jp/

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もうひとつの京都『麒麟がくる』明智光秀ゆかりの地8選

「古都」と呼ばれる京都府は、「日本文化発祥の地」とも言われており、その1,200年の歴史とともに培ってきた様々な魅力が存在します。このマガジンでは、文化のふるさとである京都から、観光や芸術、グルメなど、旬の魅力をお届けします。
2020年の大河ドラマは、織田信長に仕えたことで有名な戦国武将・明智光秀が主人公の『麒麟がくる』が放送されます。光秀は、丹波・丹後を平定し福知山城を築きあげるなどの偉業を残す他、本能寺の変にて織田信長を討ちとり山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れるなど、歴史に名を深く刻んでいます。
それ故に、今でも丹波・丹後には光秀の足跡が残っており、親交のあった細川幽斎や光秀の娘・細川ガラシャ、幽斎の息子・細川忠興のゆかりの地も多く存在しています。
ぜひこの機会にゆかりの地を巡り、彼らが残した物語や功績、歴史のロマンを感じてください。

福知山城

福知山城

1579年頃、明智光秀が織田信長の命を受けて丹波を平定した際、西国攻略に向けた拠点として「福知山城」が築城されました。現在、光秀が築城した中で唯一天守閣があるお城であり、石垣は市の指定文化財となっています。光秀は、治水や税金免除など善政を敷いたことで、領民に慕われる領主だったと福知山では伝えられています。
1873年の廃城令により、石垣と一部の遺構を除いた大部分が取り壊されてしまいましたが、1986年、市民の瓦一枚運動などにより天守閣が復元され、現在は福知山城公園として整備されました。自然石を巧みに組み合わせた石垣は、築城された当時の面影を伝えています。

福知山城石垣

また天守閣は三層四階となっており、展望階からは城下町や丹波の山々を一望できます。今年度、32年ぶりに入館者数が過去最高を更新しました。
お城の中には、光秀を祀る御霊神社所蔵の「家中軍法」の複製などが展示してあります。さらに2020年1月11日(土)からは「福知山光秀ミュージアム」の開館を予定しています。

「福知山城」詳細情報

住所:京都府福知山市字内記5
入城時間:9時~17時(入館は16時半まで)※夜間は城や周辺をライトアップ
入城料:大人330円、小・中学生110円
URL:https://dokkoise.com/temple_shrine/

御霊(ごりょう)神社

御霊神社

城下町の中に建つ、光秀公の霊を祀った神社が「御霊神社」です。その由縁は、江戸時代に福知山で火災、水害など災害が頻発した際、光秀公が地元の人々から“丹波国を治めた名君”として愛されていたことから、「光秀の祟りではないか」と考えられるようになり祀られたことがはじまりです。
光秀公は、城下町を新しくつくり、地子銭と呼ばれる土地税を免除。数々の善政のおかげで福知山は早くから商工業が栄え、光秀公は地元の人々に愛される存在となっていきました。
このように、良君・光秀公の象徴的なスポットとなっている「御霊神社」ですが、御神体として光秀公の書状や、本能寺の変のちょうど一年前に書かれた家中軍法を蔵している貴重な神社です。境内には、光秀について書かれた石碑もあります。

「御霊神社」詳細情報

住所:京都府福知山市西中ノ町238
拝観時間:9時~17時
拝観料:無料

丹波亀山城

丹波亀山城

「亀山城」は、光秀が丹波平定の拠点とするため、1577年頃に築城したお城です。本能寺の変の際もここから出陣したと伝えられています。光秀の死後、層塔型の五重の天守が築かれ江戸時代にも丹波亀山藩主の居城として利用されていましたが、1877年には廃城令により天守が解体されました。今も石垣や堀が残り、当時を偲ばせます。

「丹波亀山城」詳細情報

住所:京都府亀岡市荒塚町内丸1(大本本部)
入城時間:8時~17時
入城料:無料
URL:http://www.kameoka.info/mitsuhide/kameyama-castle.php

谷性寺(こくしょうじ)

谷性寺

「光秀寺」とも呼ばれる「谷性寺」。本尊である不動明王を崇敬した光秀が、本能寺の変の前に誓願したと言われています。最期の介錯をした家臣が光秀の首をこの寺へ運び葬ったと伝えられることから、幕末に作られた光秀の首塚もあります。
また、光秀の家紋“桔梗”が初夏にかけ門前に咲き乱れることから、「桔梗寺」としても親しまれています。

「谷性寺」詳細情報

住所:京都府亀岡市宮前町猪倉土山39
拝観時間:9時~夕方
拝観料:無料
URL:http://www.kameoka.info/seeing/kokushouji.php

歴史資料館 大山崎町

歴史資料館 大山崎町

「歴史資料館 大山崎町」は、古代、中世、山崎合戦、待庵・利休、近世の5つのテーマに分かれた展示室によって、大山崎の地形や歴史的な特色を紹介する歴史資料館です。
山崎合戦について、光秀と羽柴(豊臣)秀吉の動向を中心に映像で学べる他、千利休ゆかりの茶室「待庵」の原寸大模型は必見です。

「歴史資料館 大山崎町」詳細情報

住所:京都府乙訓郡大山崎町竜光3
営業時間:9時半~17時(入館は16時半まで)
休館日:月曜日
入館料:一般 200円/小・中学生 無料 ※企画展・特別展は別途
URL: http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/annai/kyoikuiinkai/rekishi/rekishishiryokan/index.html

山崎の合戦の地「天王山」

山崎の合戦の地「天王山」

1582年、本能寺の変で織田信長を討った光秀は、その後秀吉と争うことになります。
同年6月13日、山崎の地にて戦いが起こりますが、先に天王山を制したことで秀吉が有利になったと伝えられており、天下分け目の分岐点となった山崎合戦にちなんで、勝負の分かれ目のことを天王山と呼ぶようになりました。
「天王山」は標高約270メートルで、JR山崎駅や阪急大山崎駅から徒歩でアクセスできる、気軽に登ることができる山です。ハイキングコースとして整備されているため、お年寄りや子供連れでも楽しめます。光秀と秀吉が覇権を争った地を歩き、歴史ロマンに思いを馳せながら散策するのはいかがでしょうか。約1時間ほどで登れるこのコースには、絶景を楽しめる展望台がある他、秀吉の天下取りの物語が語られる6枚の陶板画もあります。

「天王山」詳細情報

山頂までの所要時間
阪急大山崎駅、JR山崎駅からの場合
阪急大山崎駅、JR山崎駅から山頂までは徒歩で約60分です。

休憩所について
天王山山頂への登り道の六合目付近に青木葉谷展望広場があります。
この展望広場からは晴れた日には大阪平野が一望できるため、あべのハルカスや大阪城が見えることもあります。
広場にはベンチもあるので是非景色を堪能しながらひと休みしていくのはいかがでしょうか。

お手洗いについて
お手洗いは、山麓の宝積寺、小倉神社、山崎聖天桜の広場にありますのでどうぞご利用ください。
ハイキングコースの途中にはお手洗いはありませんのでご注意ください。
青木葉谷展望広場、旗立松展望台、山頂、奥の山展望広場ではお弁当を食べていただくことができます。その際にはレジャーシートのご用意をお忘れなきようご注意ください。
旗立展望台付近にはあずま屋もあります。

田辺城跡

田辺城跡

田辺城(別名:舞鶴城(ぶかくじょう))は、光秀と共に丹後を平定した細川幽斎が築いた。関ヶ原の前哨戦となった田辺籠城戦では、西軍15,000人の軍勢をわずか500人で迎え討ち、52日間籠城した舞台として知られている。城門の2階には、「田辺城資料館」があります。

「田辺城跡」詳細情報

住所:京都府舞鶴市南田辺15-22
URL:http://www.maizuru-kanko.net/spot/sightseeing/tanabejyo.php

勝竜寺城公園

勝竜寺城公園

信長の命を受け、細川藤孝(幽斎)が改修したお城。光秀の娘・ガラシャが幸せな新婚生活を送った場所であり、山崎合戦に敗れた最後の夜を過ごした場所でもある。毎年11月に「長岡京ガラシャ祭」が開催されます。2019年11月に展示室をリニューアルオープンしました。

「勝竜寺城公園」詳細情報

住所:京都府長岡京市勝竜寺13-1
URL:https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001138.html

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