【豆知識】東海道・品川宿から見る江戸後期の旅|街道と宿場の役割
時代劇の旅の場面を見て、街道や宿場がどんな場所だったのか気になったことはありませんか。江戸から東海道へ向かう最初の宿場、品川宿を手がかりに、旅と輸送を支えた仕組みを見てみましょう。
江戸から東海道へ出る最初の宿場・品川
品川区立品川歴史館の解説によると、品川は江戸時代以前から物流・交通の拠点だった港町です。東海道の第一番目の宿場として品川宿が置かれ、宿泊施設や荷物の運搬施設が整えられていきました。街道は通る道であると同時に、人や荷物の移動を支える仕組みでもありました。
同じ解説は、江戸時代の「道中記」を旅のガイドブックとして紹介しています。文政3年(1820)発行の『諸国行程 大日本道中指南車』には、道中地図や距離・方角、旅に役立つ情報が載っています。江戸後期の旅を考えるときには、宿場だけでなく、道を調べるための資料にも目を向けられます。
品川宿は旅と輸送をどう支えたか
宿泊と人馬の継立
宿場の役割は旅人を泊めることだけではありません。品川区の「品川歩行新宿加宿裁許状」解説には、品川宿が伝馬宿となり、北品川宿と南品川宿が伝馬の提供を担った経緯が記されています。宿場の運営には、人足や馬を提供する負担も関わっていました。
「歩行新宿」の「歩行」は何を指すか
品川宿には「歩行新宿」という名が残ります。字面だけを見ると、徒歩の旅人向けの新しい宿場を思い浮かべるかもしれません。しかし、品川区の文化財解説が説明するのは、伝馬人足を負担していた町が宿場への編入を求め、享保7年(1722)に加宿を認められて「歩行新宿」と名付けられた経緯です。この名称から、旅人がどのくらい徒歩で移動したかを読み取ることはできません。
天保期の錦絵に描かれた品川
国立国会図書館の電子展示は、歌川広重(初代)の『東海道五拾三次之内』を、天保4年から5年にかけて制作された宿場の錦絵シリーズとして紹介しています。同館の品川の展示には「東海道五拾三次 品川・日之出」も掲載されています。品川宿は、文字の記録に加えて絵でもたどれる題材です。
錦絵は、当時の人が宿場をどう描いたかを見る資料です。描かれた一場面を、その日の風景を写した写真や、すべての旅人の移動方法を示す記録として扱うことはできません。宿場の制度を知るには品川区の解説、絵の表現を見るには国立国会図書館の展示、と資料の役割を分けて読むと分かりやすくなります。
徒歩だけでは語れない江戸の移動
品川歴史館の道中記の紹介は、旅の情報をどう得たかを伝えています。品川区の裁許状の解説は、人足や馬の提供をめぐる宿場の負担を伝えています。どちらも旅を理解する手がかりですが、旅人全体の徒歩と乗馬の割合や、一日に歩いた距離まで示す資料ではありません。
品川宿から江戸後期の旅を眺めると、道を調べる道中記、宿泊や荷物の運搬を支える施設、人馬の提供を担う町という複数の側面が見えてきます。時代劇の旅路に宿場が登場したら、どの役割が描かれているかに注目してみてください。

