【豆知識】町年寄と町名主の違いとは?江戸の町を支えた町役人と自治の仕組み

時代劇の町には、お奉行様や同心だけでなく、名主や長屋の大家も登場します。事件を裁く場面の外で、お触れを伝え、住民の記録を整え、町の日々の用事を引き受けていたのは、どのような人たちだったのでしょうか。

江戸の町運営を知る手がかりが、町年寄(まちどしより)と町名主(まちなぬし)です。奉行所との関係から、家主や月行事の仕事まで、町人側の役目をたどってみましょう。

江戸の町は誰が運営していた?

江戸東京博物館の特集展示「江戸の町名主」の紹介によると、江戸の町は18世紀中頃には1600町余に増えていました。同館は、町奉行と配下の与力・同心に加え、3名の町年寄と250名前後の名主が町の仕組みを支えたと説明しています。江戸東京博物館「江戸の町名主」

ただし、町の数と名主の人数から、各自の担当を均等に割り出すことはできません。一人の名主が複数の町を受け持つ例もあり、町ごとの成り立ちや支配の範囲に違いがありました。

ここで主に取り上げるのは、町奉行の支配下にあった江戸の町方です。武家地や寺社地を含め、江戸のあらゆる場所を同じ仕組みで運営していたという意味ではありません。

役目を大づかみに比べると、次のようになります。

呼び名主に関わる範囲仕事の例
町年寄江戸の町方町奉行所と名主の間に立ち、町触の伝達などを担う
町名主担当する町々住民の記録、町屋敷売買の管理、訴えの届け出などを担う
家主・大家管理する町屋敷家賃の徴収や共用施設の管理などを担う
月行事町内交替で町名主の仕事を補佐する

町奉行・与力・同心は幕府側の役人です。一方、町年寄や町名主は町人身分の町役人でした。役所から町へ知らせを伝えるにも、町で起きたことを役所へ届けるにも、町人側の働きが関わっていました。

奉行所側の仕事や岡っ引きの立場を詳しく知りたい方は、お奉行様・与力・同心・岡っ引きの違いも参考にしてください。

町年寄とは?江戸の町をまとめた三家

江戸の町年寄を務めたのは、奈良屋・樽屋・喜多村の三家です。国立国会図書館サーチにある西尾市岩瀬文庫所蔵『江戸町年寄系譜』の解説でも、三家が町年寄を世襲したことが確認できます。『江戸町年寄系譜』の資料情報

「年寄」という名前でも、年齢の高い住民が順番に就く役というわけではありません。特定の家が代々役目を引き継いだ点が、江戸の町年寄の特徴です。

町年寄は町奉行のもとで、町触の伝達や町名主の任免などに関わりました。町奉行所から出る指示を町々へ伝えるうえで、町年寄と、その下で各町を担当する名主が重要な位置にいたのです。

「役所と町人の連絡役」と考えると役割の一端はつかめますが、伝言だけを取り次ぐ存在ではありません。名主の人事にも関わる、町人側の町運営の上位に位置した町役人でした。

町名主とは?町人と役所をつなぐ役割

町名主は、担当する町の運営に携わった町役人です。町触を伝えるほか、人別帳という住民の記録や、町屋敷の売買に関わる管理も担っていました。

一つの町に一人とは限らなかった

具体例が、南伝馬町の名主を務めた高野家です。東京都公文書館の解説によると、高野家は南伝馬町だけでなく、通三丁目代地や南鞘町・南塗師町など、複数の町の名主を兼ねていました。

名主の名前と一つの町名だけを結び付けて考えると、この広がりが見えなくなります。町の数に対して名主が少なく見える背景には、こうした兼帯もありました。

同じ解説は、町から奉行所へ訴えを届ける際、名主が下調べをして訴状を整え、月行事や家持・家主などが付き添って出頭する流れも紹介しています。町人の用事を役所へ届ける前段階にも、名主が関わっていました。東京都公文書館「猫、大八車に牽かれる」

名主が残した記録は、役所にも頼られた

高野家が残した『撰要永久録』には、町触をまとめた記録や、町政についての記録が収められています。東京都公文書館が紹介する「公用留」には、住民や町屋敷に関わる事柄のほか、道路・橋・上水・下水の修復管理など、幅広い町の用事が記録されています。

同館の解説によれば、奉行所から名主へ、過去のお触れについて問い合わせが行われることもありました。町人の側で書き留め、保管した記録が、役所の仕事を支える手がかりにもなったのです。東京都公文書館「撰要永久録」

大家・家主・月行事は何をしていた?

町全体の名主から、住まいに近いところへ目を向けると、家主や月行事が登場します。

大家と家主を、別々の役職として並べない

江戸の町屋敷でいう家主は、一般に大家と呼ばれた管理人です。資料では「家守」とも記されます。地主に雇われて町屋敷を管理する立場があり、家主という文字だけで土地や建物の所有者と考えると、仕事の違いを見落とします。

管理の仕事には、住人から地代や家賃を集めることや、共用施設を管理することなどがありました。時代劇の大家を思い浮かべるときも、住まいを貸す人というだけでなく、町屋敷の日常を動かす立場に目を向けると理解が広がります。

月行事は、交替で町名主を補佐した

月行事は、家主からなる五人組の中から選ばれ、交替で名主を補佐しました。名主だけで町の用事が済むのではなく、町内の人々が役目を分担していたことが分かります。

町年寄・名主・家主・月行事の役目は、国文学研究資料館の太田尚宏さんによる講座資料でも整理されています。「江戸の捨子・迷子事情」講座資料(PDF)

町内の木戸や番屋、町屋敷の様子も知りたい方は、江戸時代の防犯・町の安全・暮らしの知恵をご覧ください。

江戸の町では幕府のお触れをどう伝えた?

町奉行所から出された知らせは、町人へ届くまでに、いくつかの役目を持つ人を経由しました。東京都公文書館が説明する江戸時代の基本的な伝達経路は、次のとおりです。

町奉行 → 町年寄 → 年番名主 → 番組内の各名主 → 持ち場の町人

年番名主は、組内への町触の伝達などを担う名主です。前の節で触れた太田尚宏さんの講座資料では、組の名主の中から選ばれ、一年交替で担当したと説明されています。

書面で伝える場合には、回す先の町名を並べた「廻状」という形式が使われました。受け取った名主は内容を書き写し、回覧した印を付け、次の町へ回していきます。口頭で知らせることもありました。

町触の内容だけでなく、写しを残し、受け渡しを確かめる人がいたことにも注目したいところです。知らせが町々へ届くまでの道筋に、町運営の具体的な仕事が見えてきます。東京都公文書館「明治初年の法令伝達」内の江戸時代の説明

江戸の町と現代の自治会・役所は何が違う?

知らせを地域で回す、住民の用事を取りまとめるといった働きには、現代の役所の通知や町内会・自治会の連絡を思い浮かべると理解しやすい面があります。

ただし、これは役割の一部を例えたものです。町年寄には世襲の三家があり、町人の役目は幕府や町奉行所の支配のもとに置かれていました。現代の役所や自治会と、権限や役職の成り立ちが同じということではありません。

また、町には地主、町屋敷の管理を担う家主、土地や家を借りる人々など、異なる立場の人が暮らしていました。田中克佳さんの論文「都市江戸の成立」は、家主の管理・差配の仕事と、借り手が町政の正規の構成員とはされなかった点を説明しています。慶應義塾大学学術情報リポジトリ掲載論文(PDF)

江戸の町を「自治」という言葉で捉えるときも、住民全員が同じ立場で決定に加わったという意味にはできません。ここでは、幕府の支配のもとで、町人側が町の仕事を担った仕組みとして考えると分かりやすいでしょう。

まとめ|時代劇では見えにくい江戸の町の運営

町年寄は町奉行所と名主の間に立ち、町名主は担当する町々の記録や届け出を担いました。住まいに近いところでは家主が町屋敷を管理し、月行事が名主を補佐していました。

お触れが届くことも、町で起きたことが役所へ伝わることも、こうした人々の働きがあってこそです。時代劇を見るときに、捕物の主役だけでなく、帳面や町の用事を引き受ける人にも目を向けてみてはいかがでしょうか。